悔しいと思えて幸せに感じた

 今日、反響営業の知識、アウト返しのテストが合格し、ついに正式に営業マンとして動けるようになった。

 夜のアポを対応できる人は他にいなかった兼ね合いもあって、20:30〜のアポを担当できることになった。

 僕が提案しているサービスを聞きにこようと思った理由は、親にそろそろ取るように言われたから、と。自分は必要性を感じていない、港区住みの頭の高い大学4年生らしき男性だった。学生でありながら仕事をしていて、自分名義のクレジットカードで支払うと言い、料金は気にしていない、といいながら、相対的にリーズナブルな僕の提案するサービスを聞きにきた。サービスを買うことを急いでいない、と言いながらなかなかハードなスケジュール感で取得したい、とも言い。比較するところは見つかっていない、と言いながら、明日以降比較しようと思っているところの話を聞いたり、資料請求して比較してから決める、と言いつつも、何を重要視して比較するかも定まってはなく、いつまでに答えを出そう、とも思っていない。

 説明の途中とちゅう質問や気になる点があるか聞いても、一切質問はなく、興味が本当にないようにも思う。学生でありながら、仕事もしていて、休みは規則的、と言っていたのにも関わらず、自分で休もうと思えばいくらでも休めるから、日中もいくらでも時間は作れる、とも言ってみたり。

 なんなんだろう?暇なのだろうか。暇だったのだろうか?

本当は仕事もたいしてしてないのではないだろうか。仕事をしている、というのも、言い方をちょっとカッコよく言っただけで、たまにするバイトのことを言ったのではないか。

 商談が終わった後の僕の頭の中でのこのお客様の人物像は、港区のそれなりにお金持ちのお家で親に丁寧に育てられながらも、親は自分たちより生活のステージが低い層と区別して生き、その育てられた本人もまるで自分は世の中では上の層にいるんだと錯覚し、今までのほとんどは自分の思うようにいき、割となんでも願うままになってきた、そしてこれからも自分の思う通りになると思っており、世間の多くを馬鹿にして生きている。そんな人間だと思った。

 

 こういう人間の対処の仕方、心の動かし方、勝ち方、もっと言えば、単純に何を考えていたのか、があまり分からなくて。 おそらく、ただ、自分で比較して、イイと思うものを選ぶんだろうけど、即決で決まられた方が良し、とされているこの営業の世界では、どうやったらその最善の結果を導き出すことができたのか、全然わからなくて。悔しかった。

 けれど、この「悔しい」という気持ちを感じられることが、楽しくて、面白くて、幸せだった。

何か自分の足りないところを感じたのとともに、自分の伸び代を感じたし、そう思えている自分自身が面白かった。そう思えている自分が誇らしく、最高だと思った。

 「悔しい」 この感覚がめちゃくちゃ嬉しかった。